「恥を知れ!」というコトバが似合うのは、かくしゃくとした(和服姿の)お爺さん。よっぽど高度な人じゃないと、こんなセリフはいえないカンジ。いわれたら、けっこう衝撃が大きそう。
「恥ずかしさ」には、どういう存在意義があるのだろう。「痛み」がなかったら大変だけど、「恥じらい」がなくても、生命維持には問題なさそうなきがする。
むしろ私は「恥ずかしさ」に色んなことを邪魔されてきた。
たとえば、WEBで日記をつけること。なぜか、すごく恥ずかしかった。
そもそも、私の日々のコトなんて、誰が見たいんだろ。ていうか、誰に見せたくてかくんだ・・・。読んでくれる誰かを想定して書くなんて、やらしい・・・。それでさしさわりのないことだけ書くなんて、さらにやらしい。なんてぐるぐる思ってた。ああ・・・ゆがんだ自意識。そのほうが恥ずかしい。
「表現しない人」と言われたこともあった。それも、恥ずかしさゆえの状態だし。表現しないことは、フラストレーションだけど、表現することに、恥ずかしさはついてくる。
なぜ??? なぜ、恥ずかしいの??? どこからやってくるの??? 神様、恥じらいの正体を教えてください。それから克服の仕方も。