スミノフアイスを飲む クサマトリックス編

頭の中が、充実しすぎて、言葉にできないことがいっぱい。もどかしい。考えていることの半分もアウトプットできない。ぐるぐるまわってるだけ。あきらめずに、そのうちちゃんと小出しにしよう。でも、忘れちゃいそう。最近、記憶力に問題が多いのだ。

お料理してくれたミッシェルをスパイスガールと呼びたい。これからの人生、隠し味を省略しないことを心がけていこうと思います。
スミノフアイスは、やっぱりちょっと甘すぎたらしい。ビールや焼酎のほうが人気で、6人で飲んだのに4本しかあけられなかった。がんばれ、スミノフアイス! 残りあと12本。半分まできました。折り返し地点であります。
一番スミノフアイスを飲んでくれた素樹文生さんが「つーわけで、二日酔いだ。ウゲェ〜。」 「スミノフアイスは好きじゃない」といっていたミッシェルは、「腹下す。」 

ところで私は、なぜこんなに年末パーティーシーズン用全プレのスミノフアイスにこだわっているのだろう? へんなの。
もしこれが、「年末パーティーシーズン用」でなく、ただの試飲だったら、そんなにこだわらなかったと思う。

「みんなで盛り上がろう!」
「楽しくパーティーしよう!」
みたいなノリには、一種の恐怖感の記憶とかコンプレックスみたいなものがフラッシュバックしてしまう。高校生のころの期末スポーツ大会の打ち上げやクリスマスパーティーや体育祭の後夜祭やカラオケの場違いなカンジ。
「こんなところで、うそみたいに笑っているなんて、醜悪だ。まるで楽しい青春の仲間入りさせてください、って媚びてるみたい。そんなの無駄。無駄なのに、どうして無理に笑うの? そのせいで、ほっぺの筋肉が痛いのに。卑屈な私の毛穴からは、醜悪な空気が出てる。きっとみんな気付いてる。ああもう、死にたい。今すぐ消えたい。排水溝に吸い込まれてしまったらいいのに。」
みたいなふうに、心の中でつぶやいてた。

大人になった(年齢が)私は、パーティーを楽しめるし、盛り上がることができるようになった(たぶん)。あのころのピリピリしたカンジは、自然とうすまったのか、考えないように矯正したのか忘れたけど、それを感じていた自分はやっぱり消えない。

例えば、小学校5年から19歳までビン底メガネをかけていた内気で真面目で地味な女の子が、二十歳になってコンタクトにかえたら、実はものすごく美人で、それ以降の人生、モテモテになったとして、その女の子は、「モテる人間」っていう確固としたアイデンティティと自己認識で生きていくことはないんじゃないかっていう。きっと、いつまでも、「ビン底メガネの地味な私」という存在は生き続けると思う。
ちょうど古屋兎丸の漫画『π』の高校デビューした主人公みたいなカンジに。