西日がまぶしい

図書館から借りたまま放置していた、京極夏彦の『ルー=ガルー』をやっと読んでいます。貸し出し期限はとうに過ぎているので、本来は、さっさと返さないといけないのに、のんびり読んでいます。ごめんなさい。

物語の中で、時代設定は近未来で、高度情報社会がさらにさらに進んで、人々の暮らしぶりは、どんどんひきこもりがちになっています。リアルとかバーチャルといった問題が一つの要素にもなっており、そのころには、「リアルコンタクト」というのが、特殊なコミュニケーションになっています。
そういうことを考え出すと、何がリアルなのかわからなくなって収集がつかなくなってしまいますが、ふと思いました。
私は、西日のまぶしい席に座っています。やっと西日が落ち着いた頃、おそろしくきれいな空にお目にかかることがあるのです。富士山がはっきりとみえたりして。
そういうときは、「絵みたいな景色だ」と思ってみとれてしまうのですが、すごく精巧な絵をみて、「本物みたいな絵だ」と感動したりもするのですね。
何がいいたいのかよくわからなくなってきましたが、西日がまぶしいことがとてもリアルです。とすると、リアルというのは、ちょっと苦痛ってことなんでしょうか。あんまり気持ちがいいと、夢みたいだと思ったりしますしね。