おばあちゃんパート2

椿

最近、自筆の絵葉書を送ってくれるおばあちゃん。
なかなか絵心があったり、着物やお花やお部屋まわりのセンスがよくて、けっこう尊敬している。農作業もばっちりこなしていたし。
しかし、教育ママっぷりもはげしかったらしく、孫の私にも、小学校の夏休みの絵日記の絵をめちゃくちゃダメ出しされたのは覚えている。(夏休みは母の実家に行くのが常だった。)
「きょうは海でおよぎました」
という内容の日記の、のっぺらりんとした絵にたいして
「こんなんじゃだめ。こうかかなきゃ」
といって、奥行きのある浜辺のこじゃれた遠景の絵を広告の裏かなんかに描いてくれた。
・・・けど、当時は、せっかく描いた絵日記を否定されたことにムカついて、かんしゃくをおこしてしまった。
そもそも、その絵は、かなり遠くの沖から浜辺をみたような絵で、当時6歳の自分にはそんな場所から浜辺を見たことがなかったのだから、その洗練されたウソの絵を絵日記に描けということ自体、どうなの?! と未だに疑問ではある。

最近は、はがきが届くとお礼の電話をかけるのだが・・・、足が痛くてあんまり歩けなくなったということをきくと、つらい。おばあちゃんは、入院したりすることがあっても、よっぽどのことでなかったら心配かけないようにと、連絡してこなかったりする人種なのだ。

「海でおよぎました」の絵を描きなおさせられたのと同じくらい記憶に焼きついていることがある。それは、はじめて人は年をとると死ぬということを認識したときのことだ。かなしくてかなしくて、おいおい泣いた。おじいちゃんとおばあちゃんは、しんじゃうんだ・・・。
そして、私は、とても無邪気に、おばあちゃんにきいたのだ。「いつまで生きたい?」と。

答えは、「あなたがお嫁にいくまで」だった。
・・・長生きしてください。