「これで最後の言葉」

唐突に、死に方、別れ方、終わり方、最後の美学について少し考えてみた。ヒマなのかもしれない・・・。死も終も別も最後も悲しい。悲しいけど、美しくありたい。
そういえば、昨年買った「知識人99人の死に方」は、読みかけのままになっている。

末期ガンだった祖父に、祖母は事実を伝えたがらなかった。そして祖父は、一度だって「死ぬんじゃないか」とか、「ほんとはガンなんじゃないか」とか言わなかった。ただ淡々と、除々に弱って遺書など書かずに亡くなった。「はやく体力をつけて、よくならないと」と言っていた。それから、自分で歩けないくらいに衰弱した後、「きれいに散髪したい」と言った。

タイタニック」で、ひどく印象にのこっているシーンがある。まさに沈もうとする船室のベットで、お母さんが2人の子どもを寝かしつけながら、昔話をしているシーンだ。いつもと同じように眠りながら最期を迎える美しさ。映画だけど。
きっと、精神的に不安定になったりして「死にたい・・・」とかつぶやいてみたりする自分は、もしも同じ状況になったら、泣き叫ぶに違いない。「いやだ、こわい、死にたくない」と。

仏教的には、「執着はよくない」。たぶん、生にも夢にも恋にも愛にも。どんなに悲しい死別も受け入れなくてはいけないし、夢の挫折も嘆いてはいけない。
しかし、執着と信念の違いは? わからない。
わからないなりに定義つけようとしたら、あきらめようと思ったとき、あきらめざるをえないとき、その思いは執着になるんだろうけども、どこからあきらめるべきなのかがわからないうちは、まだ、信念なんだろうか。なんて考えていたら、そんなことどうでもいいような気がしてきた。
神森徹也「1st ALBUM GREAT」 のなかの「これで最後の言葉」の歌詞が、泣ける。