(仮)

水不足

「○○だったら死のう」みたいなの、子どもの頃から考えてた人が存在していた。「死のう」じゃなくて、「死ぬ」って。
「学校から家まで小石をドブに落とさないで蹴り続けられなかったら、死ぬ」
下を向いて小石けってる姿が目に浮かぶ。なんだか、せつなくてだきしめたい。

昔、家庭教師をしていた小学生の男の子が「めんどくさいからいつ死んでもいい」って言ってたのを思い出した。小学2年生の時から週4回塾通いさせられてる子ども。ポケモンのカードゲームで遊ばされたけど、キャラクターの意味するパワーが複雑かつ多すぎて覚えられず、それを全て覚えていることが、割り算ができるよりずっとすごいことに思えた。

ところで、今の自分は仮の姿で、本当の自分は、ちがうのである。
という感覚を、持っている人はいるのかな。雑誌の心理テストで、そんな質問項目をみたことがあるから、わりと一般的な感覚なのかもしれない。

私は、中学生くらいから、人間関係で、そんなにトラブルがない。和を大事にしていたし、例えば職場や学校などでケンカや揉め事などは、あまりしたことがない。ちょっとくらいなら納得のいかないことも、ぐぐっとがまんしてしまって、それで収まるならそれでならよいと。無駄な力使いたくないし。

実はそれができてしまうのは、「仮」の自分だからなのだった。今の居場所は仮の居場所、本当の自分の居場所はどこか別のところにあるからいいやって。
最近、本当の自分が暴れだしている。いい加減に、本当の自分の居場所を作れと。たしかにごもっとも。仮の居場所と思っているところでも、それ以外に居場所がないんだったら、そこに本当の自分をおくしかないのだ。
今まで居場所のなかった本当の自分が、うまくやっていけるのか、よくわからない。もしかしたら、ものすごく困った人になってしまうかもしれない。だけど、その分何か生み出せたらいいな。

そういえば、愛用の爪切りが見つかった。部屋にブラックホールはなかったみたい。